沖縄の陰

沖縄は初めて訪れた。

沖縄と聞いて脳天気な話題を想像した人も多いとは思うが、実は今回はかなりヘビーな話題も含まれている。
普段一般人から見たらかなり偏った生き方をしている私が語るのも何だが、「沖縄から見た平和」とでも言うような内容なので、「どうせ今年の7月とか9月に人類は滅亡すんだろ?」とか言って毎日何も考えずに自らの能力や地球の資源を浪費している連中は読まなくて結構である(笑)。

とはいえ別にそういう連中を馬鹿にしているわけではない。
ミヤダイ先生も書いているように、現在はそういう風に「まったり」生きるのが最も現代で効率よく生きられるように自然淘汰された生き方なんだし、私もできればそのように生きたいのだが、なにせ何事もある程度深く突っ込まないと気が済まない性格なので、たまにはまともなことも書いてみたくなったりするわけだ。

実はちょっとした関係で6月23日の沖縄慰霊の日に合わせて沖縄入りした。
北国育ちの私には沖縄というと単なる遠い南の島以外の何物でもなく、テレビや新聞等で米軍基地の情報がある程度は入ってくるとはいえ、今回の行動に関してある種息抜きのつもりが無かったとは言い切れない。
そんな軽い気持ちも沖縄入りしたその日に行われた結団式(まあちょっとした関係で結団式などに参加したのだ)で、大田前沖縄県知事の講演を聞いてどこかに吹っ飛んでしまった。

本気なのである。
別に本気と書いてマジと読んでもよい(笑)。
そりゃテレビで何度かお目にかかったことのある立派な方である。どういう主張をする人か、どういうことをやろうとしているかは大方わかっていたつもりである。
ただ、想像のはるかに上を行っていた。

総勢500人以上いた会場、しかも今日から沖縄入り。会場が騒々しくて当たり前である。当然その日もそうだった。
それが大田前知事の話が始まりると会場がシーンと静まり返った。それほど凄かった。

太平洋戦争の悲劇というとどうしても広島、長崎の原爆を連想してしまうのは致し方ないと思うが、沖縄戦についてはあまりにも情報が欠如しているのではないか。
あるいは、情報は溢れているのに私が耳を傾けなかっただけなのか。
自分の住んでいる街に敵国の軍隊が攻め込んでくる様子を想像できるか?
しかも守ってくれるはずの自国の軍隊は指揮系統を失い暴徒と化した状態で、それでも自国の勝利を頑なに信じ、国民としての誇りを失わず(しかしこの誇りは現代では間違ったものかもしれないが)、ひたすら南へ南へ逃げていく自分を想像できるか?

沖縄に日本の米軍軍事施設の75%が存在する現状を現在の数字や世界情勢だけをもって論じても決して沖縄県民の心情を理解することはできまい。
遡っては琉球王国時代の不安定な存在、そして今後起こるかもしれない戦争状態において米軍の極東軍事戦略上最も重要な位置を占める沖縄基地群を抱える沖縄県民がどのような危険な状態に直面しうるのか、それらを総合的に考えないと今の沖縄の真の姿は見えてこない。

江戸時代薩摩からの支配後、廃藩置県によって消滅した琉球王国民は、明治から昭和にかけて、立派な日本人になることをある意味で義務づけられながらも、一方では誇りに思い生きていく。

その立派な日本人の誇りを胸に太平洋戦争に突入した沖縄県民は、最悪の地上戦となる沖縄戦の波に否応なしに飲み込まれることになる。
そこで米軍の攻撃ならいざ知らず、味方であるはずの日本軍によっても多数の生命が奪われ、さらには集団自決で多くの幼い命が、そしてひめゆり隊等で知られる多くの学徒の命が奪われることになる。

戦後27年間米軍の統治下におかれ、1972年本土復帰後日本本土の米軍基地は60%の削減が行われたににもかかわらず、復帰後27年経った今も依然米軍基地は存在したままであり、米国の極東戦略の拠点として常に強大な存在感を醸し出している。

日本で最も戦争の悲惨さを体験し、純粋に平和を願っているはずの沖縄県に、日本最大の米軍基地が存在する違和感。

さて、次の日まるまる1日くらいかけて嘉手納基地の周りをデモ行進したのだが、実際に嘉手納基地の周りを歩いてみて驚いたのは爆音の凄まじさ、そして何と言っても基地そのものの大きさである。
街のど真ん中に存在する広大な基地。体内に異物が存在している感覚。
沖縄戦を経験した人には基地そのものが戦争の象徴に見えるのだろうか。

しかし、逆に私たちが行進しているのを見ている地元の人々の視線には複雑なものを感じざるを得なかった。
非常に冷ややかである。
中には手を振ってくれる方や声をかけてくれる方もいたことはいた。しかし、基地返還運動の先頭に立っている方々と一般市民の間には温度差を感じざるを得ない。
決して現状で満足しているわけでは無いと思うが、現実に県民の心の中を占めているのは、冷え切った沖縄の経済状況が生み出すある種の諦めの感情であるような気がする。

ところで、これまで述べたようなことは普通に観光しているうちは特に気にしなくても大丈夫である。
というかリゾートで訪れた観光地で、必要以上にヘビーな問題に自ら直面する必要はない。

素顔の沖縄は非常にエネルギッシュで魅力的な所である。
私は那覇周辺に4日間滞在しただけだが、なにせ夜が長い。ほんとに長い。
夕方6時頃でも昼間のように暑いのである。
地元の人は夜のことはおいといて、とりあえず一回家に帰って風呂に入るのだそうである。しかもしっかり飯も食うのだそうである。その時点で9時とか10時頃になるらしい。
それから街へ繰り出すのだ(笑)。

これをエネルギッシュと言わずなんと言おう。
国際通りのお土産屋など夜中になってもまだ開いているのだ(笑)。放っておくとすぐに夜型になり未だに明け方まで寝れないときのある私としては、夜の長い街は大好きである。
連日泡盛古酒を飲みたおし、初めての沖縄だしとひたすら珍しい食い物を、ゴーヤだミミガーだラフテーだ海ブドウだ豆腐ようだ紅芋だと次から次へと食いまくり、それでも昼間は朝から猛暑の中デモ行進するという、そんな日々を過ごしたのにもかかわらず、全く疲れが残らない。
本当にストレスのたまらない街である。

その証明と言ってはなんだが、月曜日から木曜日まで沖縄にいて連日ハードな生活を繰り広げ、金曜日はきっちり朝から会社に行き、土曜日はわざわざ仙台まで車であるたいると出かけて行ってクラブで踊りまくり、そのままダラダラ朝まで飲み、車の中で3時間仮眠しただけで日中は仙台で過ごし、ちゃんと車で帰って来て次の日仕事に行っても、全然平気だった(笑)。
それがこっちに帰ってきてほんの1週間で沖縄にいた時の数倍のストレスが既に体の中にとぐろを巻いている。

まあ普段ストレスが溜まるからこそリゾートの意味があるのだろうが、そこまで悟りきれない自分がいる(笑)。
元ボ・ガンボスのどんどのように、できることなら沖縄に住みたいなどと思ったりする。そりゃ私もアホじゃないので、観光で訪れた街の印象と実際住んだときの印象は全然違うことくらい百も承知である。

でもいい街はやっぱりいいのだ。

高校の修学旅行で京都の魅力、というか京都でたこ焼きの露店にいた綺麗なお姉ちゃんの魅力にはまり(笑)、そのままの勢いで大学は京都に行き、実際住んだのはたった5年だったにも関わらず今でもまた住みたいと思うように、初めて訪れたときの街の印象というのは結構当たっているもんだ。
つくばなんか二度と住みたくないし、山形も仙台もそこそこいいとこだったがこっちから望んで再び住みたいとはあまり思わない。
しかし沖縄には初めて京都を訪れたときのような衝撃があるのだよ(笑)。

知り合いで京都の大学に入ったにも関わらず琉球大の医学部を受け直して沖縄に住んでるカップルがいるのだが、彼らの気持ちは今となっては非常によくわかる(笑)。

話が横にそれたが、言いたいのはこういうことだ。
沖縄は素晴らしいところだから是非行ってくれ。
ただ、沖縄の今の平和の陰には太平洋戦争で捨て石にされた悲惨な歴史があり、しかも現代においてもアメリカへの生け贄の役割を担わされているということを、たまには思い出してみるのもいいんじゃねえか?

(1999.07.07)