男性における浮気肯定論

浮気を肯定してみよう(笑)。

別に私は女性蔑視主義者では無いが、差別主義者である。
そもそも人間が皆平等な訳が無いではないか。生まれつき運動音痴な奴がいくら英才教育を受けようがオリンピック100mのファイナリストなんかになれないし、あんたが自分の息子に幼稚園のころから「東大に入れ」ってハッパかけたって小学校の時の成績を見ればおおかた将来入れる大学も想像がつくってもんだ。
努力すれば必ず報われた日にゃあ、能力の無い人間は喜ぶだろうが、能力のある人間はおもしろくない。だって「人より優れた能力がある」から才能に対して栄誉が贈られる訳で、それは「努力賞」であってはいけないのだ。

「能力」という表現を使うと勘違いされるかもしれないが、それはその人のパーソナリティーに限った問題では無い。
能力とはその人が生まれついた環境も含めて論ずるべきものであり、この世の中金持ちの家に生まれた人間が強いのは当たり前である。人生をギャンブルに例えることも多いが、ギャンブルなんてルールは異なれど所詮掛け金を増やすための方法論、法外な倍率でも無い限り掛け金つまり元手が多い方が有利なのは当たり前で、結局金持ちが得をするように出来ている。そしてそいつらが人生の同じスタートラインに立ってくれるなんてことは無いのだ。
「俺にも金さえあればこの企画を実現できるのに」なんて言っているのは甘えにしか過ぎない。生まれつきハンデを背負ってるのを今頃嘆いてどうする。生まれたときからそのハンデを埋めないと同じスタートラインに立てないことは自明であろうが。

言っておくが、私は決して恵まれた家庭に育ったわけでも人並みはずれた能力を持つ者でも無い。
だって上の台詞が金持ちの台詞だったらむかつくだろ(笑)。

ただ、これまで述べたのは現世においての差別論であり、宗教的観念に基づいた平等論とは全く次元の異なる話である。
慎ましく慈悲に満ちた生活をおくることによって輪廻の無限ループあるいは螺旋階段において最終的により幸福なステージに立つことを夢見、「そこではすべての人間が平等であり憎しみも苦しみも悲しみもない」という死を目前に控えた人間の「心の拠り所」あるいは慎ましく慈悲に満ちた生活をおくるためのモチベーションを否定するわけでは無い。
そもそも人間なんて「なんで我々は生かさせられているのか」という根本的な疑問すら解決できていないのであり、それを直視した時に生じる本能的恐怖に対する答を宗教に求めるのは、世界的には極めて一般的な姿であろう。日本は戦争に負けてから狂ったままだけど(笑)。

さて、浮気の話である(笑)。

そもそもなんで長々と御託を並べたかというと、結局「男と女は違うのだ」と言いたい(笑)。
男女雇用機会均等法から始まり労働基準法の改訂等、世の中こと仕事においては性別の区別は無くなる方向に進んでいるのは間違いないし、まあそれはそれで間違ってはいないんだろう。こんなところでしょうもない反感を買う気は更々無い。

男女が違うというのは恋愛というかSEX、つまりエッチの話だ(笑)。
あまり医学的な話を厳密にしてる暇も知識も無いが、根本的に違うのは快楽の度合いである。
当然ながら女の子のエクスタシーなど経験したことは無いが(そりゃあ経験してみたいが(笑))、男がイク瞬間なんて呆気ないものである。童貞のころはいろいろ夢も膨らみ、フェラチオなんて想像しただけで顔がほころんでしまったものだが、いざ実際に挿入を経験すると大半の男は「なんだ、こんなもんか」と思うに違いない。
そう、オナニーと大差ないのだ。

女の子が時には涙まで流しながらエクスタシーを迎えるような快感を男が得ることは無い。
じゃあ男は何でエッチをするのだ。
それは人それぞれ千差万別である。イコールそれをフェチという。

女性という神聖なもの(それが究極的に反転して汚らわしいものとしてしか捉えられない人もいるが)に対して、どこにその神秘性を感じるか、つまり言い換えればエッチの時に何に対して興奮するかというのは、体のパーツだったりシチュエーションだったり人様々であるが、その欲求を満たすことが最終的なエッチの目的であり、射精そのものではない。さらに別の言い方をすれば、「どの様に射精するか」が問題なのである。

では自分の彼女に目を向けてみよう。
彼女はあなたのフェチ心を満足させてくれているか?
巨乳フェチのあなた、彼女の胸に顔を埋めているか?パイズリしてもらっているか?
足フェチのあなた、彼女の足は頬ずりするくらい綺麗か?ミニスカートをはかせても恥ずかしくないか?
声フェチのあなた、彼女はいい声で泣いてくれるか?

世の中には「俺の彼女は全てにおいてパーフェクト」という幸せなお兄さんもいるかもしれないが、ほとんどの場合どこかで妥協しているはずである。
そりゃそうだ。つき合うきっかけはフェチではあるまい。
判断基準にはなるだろうが、顔も性格もよくて気が合って、しかも恋愛感情も芽生えた後に胸がちょっと小さいだけで嫌いになれるか?
初エッチの後「脱いだらがっかりしたよ」なんて言うか?(笑)

そう、みんなどっかで我慢するのだ。
勘違いしてはいけない。「結局最終的には体なんだよね」なんて言ってるんじゃない。
少々我慢するに余りある彼女の魅力があるから君はつき合ってるんだろ?
あえて臭い台詞を使えば君は彼女を確かに愛しているんだろ?

そこで本題に移るのだ。

男においてエッチとは「射精への過程」が全てである。
君は彼女を愛しているが、彼女とのエッチでは「君が求める射精への過程が得られない」。
例えば君は彼女が恥じらいながら感じていく様子にたまらなくフェチ心をくすぐられるとする。
しかし彼女は極めて大らかなエッチをする女の子で、恥じらいという言葉にはほど遠い。
君は思うはずだ。
「うぶな女の子を感じさせてみたい」
そう、エッチをする度に君は思うのだ。
しかもそれは時が経てば忘れられるものでは無い。

だって君は欲求不満を解消していないんだから。

おわかりだろうか?
君も彼女も深い愛情で結ばれている。エッチもしている。エクスタシーも得られている。
彼女は君の「愛情」と「エクスタシー」の両方が得られれば満足だろう。
でも君は彼女の「愛情」と「射精」の両方が得られても満足してないよね?

「射精への過程」が違うから。

ある日君の前に新しい女の子が現れる。仮にA子としようか。
特に恋愛感情は抱かなかったが、コンパの帰りに二人きりになる。
A子はかなり酔っているようで、彼女の肩を抱くようにして歩いた。
ふと「魔が差す時特有の妙な空気」が流れるのだ。
ついついA子の唇が愛おしく感じてしまう。
キスをする。

A子が「恥じらう」。

そう、それこそ君の求めていた「恥じらい」じゃないのか?
A子はそれを持っているんじゃないのか?
その夜君は間違いなくA子を抱くんだ。
A子に求めるのは「愛情」でも「射精」でも無いんだ。
「射精への過程」だけだよ。

「私を愛しているんじゃないの?」
本命の彼女の声が遠くから聞こえるだろう?
馬鹿言っちゃいけないよ。
本命の彼女に言ってやりな。

「愛しているからこそ君へは射精の過程は強要できないんじゃないか。」

(1999.11.23)