おっさんの入り口

あなたは何をもって「ああ、アイツもおっさんになったなぁ」と思いますか?

人それぞれ違うのかもしれないが、少なくとも高校生くらいまでは「大人のようには絶対なりたくない」と思いながら当時の大人を見ていたのではないのだろうか?
疲れたサラリーマン、一生かかってやっと払えるうさぎ小屋のローン、家庭に居場所のない父親、個性のない組織人、冷めきった夫婦生活・・・。
そういう大人には絶対ならないんだ、とりあえず大学行っていろいろ情報収集して、その後とりあえず一旦はサラリーマンになるけどそれは単なる腰掛けで、なんか事業起こして一発当ててさ、綺麗ないい女横に連れていい車乗り回してさ、誰にも縛られずに自由に暮らしてんだよ、俺は・・・。

高校生のころ何を拠り所にして受験勉強していたんだい?
誰も疲れたサラリーマンになるために勉強していたわけじゃないだろう。
勉強していい大学入れば一流企業に入れて、世界を股に掛けるビジネスマンになれると考えていたのかどうかわからないけど、この苦しい日々を乗り越えればなんか世界が開けるんだと信じていたはずなんだ。

「この灰色の日々に疑問を感じちゃいけないんだよ。」
「受験マシンになってさ、とりあえず大学入っちまえばこっちのもんなんだから。」

「そうそう、いつかなんか一発当ててさ・・・。」

ちと大げさだったかもしれないが(笑)、当時はバブル全盛期。
誰も自分の夢を疑っていなかったし、それを実現できる土壌も確かにあった。
給料は年功序列当たり前、年金もらって老後は悠々自適・・・。
誰も、毎日残業してしょうもない仕事こなして、ちっぽけな給料もらって、一生務められるかどうかわからないどころかいつ首切れらるかも知れない状況で、毎日何の希望もなくどんよりと生きている自分なんて想像していなかったはずなのだ。
これじゃ俺が絶対なりたくなかった当時の大人以下じゃねえか・・・。

まあここまで読んで「何わかりきったことを長々と言ってんだ」と思う人も多いだろう。
そう、最初から割り切ってる人にとってはそもそも疑問すら生じないことなのだ。
というか割り切る以前に「割り切るべき最後の砦の存在にすら気付いていない」人も多いに違いない。
社会人になるとはそういうこと、無難に結婚して、あとは子供に自分の夢を託す・・・。
実は私はそういう人間が反吐が出るほど嫌いである(笑)。
だから今回のコラムを書いているわけだ。

とにかく人生を無駄に消費していくだけの連中は嫌いなので私は最初から友達にもならないし、話もほとんどしない、下手をすると面と向かって罵倒する場合もあるのだが(笑)、過去にそういう基準を無事クリアして晴れて友達になった連中も(なんか妙に偉そうだけどまあいいや)、歳をとり結婚するにつれて徐々にその輝きが薄れ、次第にオヤジ化して来る。

そりゃそうだ。
仕事は忙しくなる、嫁さん以外の女と商売抜き(笑)で会うことが極端に減る、カッコつける相手がいないわけだからだんだんお洒落に気合いが入らなくなる、子供が産まれた日にゃあ子供にかかりっきり、嫁さんは化粧っ気が無くなり見る見る老け込んでいく、土日にお出かけする機会が如実に減る。
つまり日々漫然と生活することを強制される状況が次々と襲ってくるわけだ。
自らその状況に危機感を抱いて早めに対策を打たなければ、いつの間にか自他共に認める、或いは自覚症状はないかも知れないが誰が見ても明らかな、オヤジのできあがりである。
そう、高校生のころ皆が嫌悪していたはずの大人の象徴「オヤジ」である。

幸い、私の友人達は結婚しているしていないに関わらずみなアグレッシブで、久しぶりに会うといろいろ刺激を受けるので楽しいし、逆にこちらも刺激を与えなきゃいけないと思い、会うときには心地よい緊張がある。
多少ルックスは老けてきていても、目の輝きや思想、行動が相変わらず昔と変わっていないことで「未だ同じ価値観上で生きている」ことを確認し、そして安心する。

ふと気がついたが、私はこのコラムをもって自らへの戒めとしているところも多分にあるようだ(笑)。
他人への批判は自分の内なる心の弱い部分に対しても同様に響いているような気がするからだ。

さて、今回のテーマは実はもう少し奥が深い。

先ほどまで述べた肉体的精神的オヤジ化現象は本人の生き方次第で防げるわけだし、実際このコラムは最初から再三再四釘を差しつつそういう人にしかメッセージを投げかけていないわけだから(笑)、ここまで読んできたのであればなんら疑問を挟む余地はあるまい。
もし間違ってここまで読み進めてしまった「日々漫然と暮らすだけの生き物」の君は、これ以上読まなくていいよ(笑)。

肉体的精神的オヤジ化はその人がどういう生き方、考え方をしているかに依存するものであって、年齢的老化とは直結しない。
しかしそれとは別に、ある程度の年齢になると必ず感じる「世代間の格差」というものがある。

「最近の若いもんは・・・」
という台詞で代表されるそれらの世代間格差は、文字通りある意味20代以下の世代を指して使われることが多いが、それはある時代を生きた大人が自分より遙かに若い世代に対し、自分達が昔その若い世代と同様な世代を生きた時の価値観に基づき侮蔑する言葉である。
自分が若かったころはその言葉に対抗心を燃やし、
「てめえらとは生きている時代が違うんだよ。」
などと粋がっていたはずが、年齢を重ね自分達がそれなりに大人になるに連れて、さすがに同じ台詞は使わないまでも同じような感覚が芽生えることが多くなって来るし、実際そういう台詞を周りの人間から聞くことも多くなる。

「最近の女子高生どうしようもねえな。ホント、バカだよな。」

まあ、最近の女子高生の黒々ヤマンバぶりは確かにまともじゃないが(笑)、別に年々若者がバカになって来ているわけでは決してない。
ほんの一握りの標本をもとにその母集団を論じるくらい間抜けなことは無くて、どの母集団にだってバカはいるし頭のいい奴もいるし、センスも人それぞれ千差万別なのである。
確かに最近メディアに露出する女子高生にはいただけないのも多いが(笑)、それで「最近の若いもん」として論じるのは大きな間違いである。

「ある世代全てが他の世代より人間的に劣る」なんてことはあり得ないのだ。

ある世代のバカは他の世代から見てもバカなのは当たり前で、逆に同じ世代の天才はあんたなんかよりずっと賢いわけだ。
「異なる世代に対する違和感を、その世代を一括りで侮蔑することで解決する」なんて行為は自分の器の小ささを露呈する行為に過ぎない。

世の中の出来事はすべて必然である。つまりその人が現在の姿になったのにはそれなりの理由がある。
先天的資質、家庭環境、学校環境、メディアの影響、サブカルチャーの影響・・・それら全てが密接に絡み合って「その人」になる。
現在の中高生に関して言えば、社会学的には「共同体の縮小」ということで説明がつくらしい。
昔は学校社会なり地域社会なりの共同体が何の疑問も無く機能していたのに対し、核家族化とバブル崩壊に伴う学歴社会の崩壊によりどちらの共同体も意味を失い、現在の中高生には「仲間」という共同体が全てである。
「仲間以外は他人」であり、タメ口を最も大切にし、仲間以外の言動は耳に入らない。
それはそれ以前の世代の価値観からすると奇異に映るかもしれないが、彼らの価値観ではそれは当然のことなのだろう。

しかし、彼らは突然変異で発生してきた奇形ではない。社会が産んだ必然である。
一世代前の価値観を持ち出して現在の若い世代を論じるのではなく、逆に現在の若い世代の生態および文化から今の時代を認識することが重要なのだ。

思い出してみたらいい。
いつの時代も世の中に対する反省と反発から新たなカルチャーが産み出され、それが若者のエネルギーによって発展してきたではないか。
さまざまな流行が産み出されては消え、その中で後世に残るものだけが残っていく。
しかもそれを後世に残すのもまた次の世代の若者なのである。

さあ、「最近の若いもん」の言動がカチンときてしょうがないあなた(笑)。
別に私は「カチンと来るのが間違っている」と言っているのではない。
それは世代間の格差から生じる自然な感情なんだから、それを我慢しても何の解決にもならないのだよ。
実際私もカチンと来ることはあるさ、そりゃ(笑)。

ただし、旧世代の人間が旧世代の価値観を用いて若者世代を批評し、場合によっては侮蔑するのは、旧世代の単なるマスターベーションに過ぎない。
次世代の若者は旧世代の価値観を破壊し、それを再生して新たな価値観を産み出すのである。
しかもその破壊・再生のベクトルは偶然に決まるのではなく、旧世代が作り上げた文化・環境によって必然的に決定するのである。
そう、認めたくないかもしれないが、若者の価値観は間接的にあなたが作り上げたものなのだ。
そして新旧両世代の価値観の間には、優劣など最初から無いのだ。

さて、そろそろ本題に戻ろうか(笑)。

人はいつからおっさんになってしまうんだろう。
たぶんこの年齢で結論なんかは出ないんだが、だらだらと書いてきて一応一つの答は出たような気がする。
結局それは、たぶん・・・

自分で価値観を再生しなくなった時なんだろうな。

(2000.01.16)