ずっとミュージシャン

久しぶりに大学の門をくぐった。
土曜日の朝7時。人もまばらな構内はまだぼんやりと靄がかかったようでもあり、朝露に濡れたアスファルトの上に機材を下ろした時は何か得たいの知れない興奮が体を駆け抜けるのがわかった。

僕らは10年ほど前、この場所で音楽に浸り、音楽を通じてさまざまな出会いと別れを繰り返し、共に喜び、共に泣き、共に悩み、そして共に何かに諦め、社会へと巣立って行ったのだ。
たとえそれが演奏環境としては決して満足できるもので無くとも、たとえ観客がほんのわずかしかいなくとも、この場所で昔のメンバーとバンドで演奏できるということだけで、わざわざ関東から新幹線を使って京都に来る意味があるのだ。
決して大げさでもなんでもなく、何年か後に僕らの人生において忘れることのできない重大な出来事として記憶に残ることは間違い無かった。

京大軽音サークル「ZETS」。
軽音楽、いわゆるバンドを組むことを目的として人が集まるサークルとしては、ZETSは決して自慢できるサークルでは無い。
プロになったバンドも無ければ、凄いバンドがいるわけでもない。
しかし逆に完全プロ志向じゃないからこそ、非常に濃い人間同士の繋がりがあり、僕らはどちらかというとそういう人間同士の繋がりに惹かれてZETSに居ついてしまったと言うのが当たっていると思う。

その日は京大学園祭「NF」の開催日。
当然ZETSもサークルとしてライブ を企画しており、僕らはOBとして出演させてもらうことになっていたのだ。

「僕ら」とは昔ZETSに在籍していたころ僕が共に参加していた「ぷりんぷりん」と「DUMBO」という二つのバンドの融合体「DUMBOぷりん」のことである。
内山さん、治郎、橋本、僕の4人からなる、自称世界一のバンドだ(笑)。

内山さんは僕の音楽人生における恩人である。
サークルに加入した当時、ドラマーとしては全然ダメだった僕を「ぷりんぷりん」に誘ってくれたのが内山さんである。
ぷりんぷりん自体そんなに大した活動をしたわけでもなく、サークルの1バンドとして短い一生を終えたのだが、僕のその後の音楽活動の方向性に極めて大きな影響を与えてくれたバンドである。

さっきも書いたが、当時ZETSはプロ意識が極めて薄いサークルだった。
逆に言うとアマチュアとしての完成度は極めて高かった。
どういうことかというと、他人の曲をどれだけ完成度高く演奏するかが最も重視され、如何にオリジナリティーが豊かであっても演奏自体が下手くそであれば何の評価も得られなかった。
このスタンスはある意味正しいし、ある意味間違っている。

確かに演奏技術がある一定のレベルに達していない限り、一般人の耳にバンドの主張が届くことは無い。
その意味では演奏技術に関して極めてシビアな評価をされるというのは、長い目で見れば本人のためになる。

しかし、音楽とは最終的には自己表現以外の何ものでもない。
オリジナルだろうがカバーだろうが、演奏している人間の内から沸き出るものが観客の心を打つから音楽はすばらしいのだ。
レコードやCDを完全にコピーすることでオリジナルの演奏以上の感動を与えられるか?
そんなわけないだろう。
人の心を打つためには演奏技術だけを追求してもダメなのだ。
如何に自分の想いを観客に伝えるか、そのために如何に自分の今の想いを演奏に乗せるか、という「ステージ」に行かなければ音楽の本質はわからない。

なんでお前はそんな偉そうなことが言えるのか?とお思いのあなた(笑)。
それはオリジナル曲でライブハウスに出続ければ簡単にわかることなのだよ。

世の中の大半はアマチュアのオリジナルに対して「聞く耳を持たない」。
路上で演奏なんかすればよくわかるが、知ってる曲を演奏すると何人かは立ち止まってくれる。
そして「じゃあ人も集まってきたんでうちらのオリジナルを・・・」と始めた途端に人は足早に去って行くのが普通だ。

所詮世の中の音楽に対する認識はそんなもんなんだから、オリジナルだけでライブハウスに出続けることがどれだけ大変なことかは容易に想像できるはずだ。
まあ出演1回目はそんなに問題は無いのだ。
だって知り合いをいっぱい呼べるんだから。
サークルに所属してたらサークルの連中が大勢やって来る。
その結果、ライブハウス側からすれば1回目の動員が結構あるわけだから金になるバンドってことであり、すぐ翌月に2回目のブッキングをしてもらえる。

問題はそこからだ。
2回目以降知り合いの動員は激減するはずだから、ほとんど知らない人の前で演奏することになる。
しかも最悪の場合ほとんどが対バンの客だったりするわけだ。
今までサークル内の暖かい観衆の前でしか演奏してなかったバンドが、極めてシビアな観衆の前でオリジナルを演奏し、そして1ステージ終わるまでの間に何らかの興味を覚えさせるというのは並大抵のことではない。

ほとんどの場合そこで壁にぶつかる。

何故なら客は盛り上がってくれないからだ。
だって演奏技術もそこそこ、オリジナルの楽曲もそこそこ、って程度じゃあ普通の人は聞く耳持たないのは当たり前、今までサークルの仲間が盛り上がってくれてたことが異常なのだ。
そして実はこの壁を経験しているか、していないかは大きな違いなのだ。
なぜこれが大きな違いなのかというと、この壁を越えるためには最終的に、
「自分が本当にやりたい音楽は何なのか?」
ということを自分自身で突き止めることが必要不可欠だからだ。

当たり前の事のようだが、実は最初からそれに気づくのは案外難しい。
みんな結構好きでもない音楽をなんとなくやってることの方が多いのだ。
まあ最初は消極的な理由から入る。
「盛り上がらない客の前で嫌な音楽を演奏するのは辛い・・・。」
適当に人の曲を演奏している間はどっかに責任転換できたものが、客のりアクションが全て自分の身に振りかかって来る。
曲を作ったのも自分たち、アレンジしたのも自分たち、演奏したのも自分たち、客が盛り上がらないのは自分たち以外に責任が無いのは明かだ。

「演出が悪いんじゃないか?」
ステージ衣装、MCの盛り上げ方、構成・・・。
やれることは全てやってみる。
多少効果がある場合もあるが、本質的な部分で何かが違うことに気付き始める。
そして最終的に思うのだ。

「俺らって演奏してて自分自身楽しいのかな?」

所詮アマチュア、演奏技術だけで人を感動させようなんて厚かましいこと考えちゃいけないのだ。
そう、何より大切なことは自分たちが心の底から楽しむということ。
その「楽しさのオーラ」が観客に伝わった時、初めて音は観客の心に届くのだ。

そりゃ楽しさのオーラを人に伝えようと思ったら、ある程度のテクニックは必要だ。
これが無いまま自分たちだけで盛り上がってるバンドもよく見かけるし、これはこれでまた困ったもんだが、あくまでテクニックは気持ちを伝える道具であり、テクニックを身につけたからと言ってそれだけを他人に強制的に聴かせる行為は、英会話が少しできるようになったからといって用も無いのに外人にむやみやたらと話しかける連中と同様、自己満足以外のなにものでも無いのだね。

ん?なんだか話が長くなってきたぞ(笑)。
何を隠そうDUMBOが歩んできた経緯を書いているだけなのだが(笑)、最終的にメンバー全員の心が、

「自分たちが好きな音楽を楽しんで演奏してんだから、それでいいじゃん。」

ってな境地に達した時、皮肉なことに僕らが出す音が初めて観客の心に届いたような気がした。
まあその時既に大学5年目(笑)、辛うじて悟りを開いたところでバンドは1本のデモテープを残して活動休止したわけだ。
やっと何かを掴みかけていた時期でもあり、ここで止めるのは後ろ髪を引かれる思いだったが、いくら考えても大学6年目に突入してまでバンドを続けるという結論にはなり得なかった。

その後みなそれぞれ社会人になって、勤務地も東北から関西まで全国に散らばり、5年以上一緒に演奏をする機会すら無かった。
それが偶然転勤によって僕と治郎と橋本が再び関東に集まったのをきっかけに、スタジオにもぼちぼち入り始めるようになり、昨年治郎の結婚式の2次会では実に京都で7年ぶりのライブをした。
そして今回ぷりんぷりんの内山さんをボーカルに迎え、再びこうして未だ現役で演奏できるということはすばらしいことである。
仕事と家庭を持ちながら、尚かつある一定以上のテンションを保ちつつバンド活動を続けるということは並大抵のことではない。
当時一緒にバンドをしていた連中がどんどん楽器を手放して行くのを見てきたし、社会人になってから知り合った「社会人ミュージシャン(笑)」の方々に至っては、ある程度評価できる人などほんの一握りしかいない。
そんな現実を見ると、今もバンドを続けられているということを素直に幸せだと思うのだ。

さて、ライブの方はどうだったかというと、会心の出来だった。
演奏自体の細かいミスはたくさんあったが、バンドの持つオーラ、訴えかけるエネルギー、沸き上がるグルーヴ、どれをとっても現役の他のバンドを圧倒していたと思う。
そりゃそうさ、別に僕らは昔を懐かしむために演奏してたわけじゃあないんだ。

今もバリバリの現役ミュージシャンなんだからさ。

(2000.12.24)