キノコは美味いか?

久しぶりにドラッグの話でも書いてみよう。

最近俳優の伊藤英明がマジックマッシュルームを食べ救急車で運ばれたのがニュースになったが、相変わらずメディアの報道の仕方には辟易する。
一応合法ドラッグであるが故に扱い方にも困ったんだろうが、センセーショナルな話題であることには違いないので、「合法の麻薬」とか「法の抜け道」のような言い回しで視聴者の興味を煽っている。

確かにいくら伊藤英明がバカだったとは言え警察沙汰になったのは問題である。
何故ならドラッグ擁護論・解禁論と言うのは全て、「擁護すべきドラッグを楽しむ人間には悪意が無く、かつ常識的な判断力を持っている」という前提に則らないと成り立たない理論であるからだ。

もともと他人に迷惑をかけたりする行為が反社会的なのは明らかで、それを取り締まることに何の矛盾もない。
現在のドラッグに関わる法律や一般的(というか俗世的)な考え方は、ドラッグをやることが即ち反社会的な行為の原因となるという論理の上に成り立つ。
逆にドラッグ擁護論はドラッグをやることそのものは反社会的な行為の原因とはならず、そこにドラッグをやる人間の個人的な悪意や判断力不足や根本的な知能不足(っていうかバカ)という付加要因が作用して初めて反社会的な行為に結びつくという論理である。

客観的に論理的に擁護論の方が正しいのは明白である。
ただ、そこに国家として国民を統治するという目的が加われば、常識的な判断力を持ち合わせた人と悪意のある人やバカがドラッグをやる割合および確率と、その結果として反社会的な行為が発生してしまう確率、そしてそれが国家の存続に及ぼす危険性を総合的に考慮し、国家として、「ドラッグのうち危険度の高いこれとこれは違法ということにしよう」という結論を出すことは極めて自然なことでもある。

ここで言うドラッグには、もちろんニコチンもアルコールもカフェインも含まれる。
上から順番に読んできている人なら敢えて言わなくてもわかると思うが、「違法だからドラッグなのでは無い」。
「ドラッグのうち国家によって危険度が高いと判断されたものが違法なのである」。
だから当然国家によっても取り締まりの対象となるドラッグは異なるし、罰則も異なる。
その国家が、禁止の対象とするドラッグから派生する反社会的行為を、どの程度想定しているかで決まるからだ。

昔アメリカには禁酒法という法律があり、酒を飲んだら処罰されたという話は有名な話だが、アルコールにもかなり重度な中毒症状があり最悪死に至ることもあるし、酩酊状態での行為は無意識で行われていることも多く危険性が伴うことを考えると、アルコールを違法とする判断もそんなに間違いでは無い。
一般的に違法ドラッグが危険であると言われる根拠は、今上で述べたアルコールにおける危険性と何ら変わりはないのだ。
結局、「たまに死んだり病気になったり酩酊状態で人殺しちゃったりするバカもいるけど、大多数の人はストレス発散のために常識的に楽しんでるんだから、アルコールっていうドラッグは合法でいいでしょ」っていう判断を国家がしているということだ。

で話はようやく元に戻るが、警察沙汰になるようなバカは酒だろうがマジックマッシュルームだろうがドラッグやる資格は無い。
そういうバカが増えれば増えるほど、「ドラッグをやることイコール反社会的行為」という国家を維持するためだけに効果的な極論が、数の力を借りて客観性を帯びてきてしまうのだ。

以前「読むクスリ」というコラムで書いたので割愛するが、合法か違法かという観点では違法であり国によっては死刑の対象となる大麻(マリファナ)は、耐性および依存性という人体への害(所謂禁断症状)という観点では、タバコ(ニコチン)よりも酒(アルコール)よりも人体へ与える害は少ない。
だから「大麻を吸ってもいいじゃねーか」などと言いたいのではなく、もちろん日本国民である以上違法なものは違法なのであって、解禁にすべきかどうかという話も単に大麻の危険性だけに注目すれば禁止すべき理由は見つからないが、既に長年の威嚇教育のせいで大麻も覚醒剤もLSDも区別無く危険であり悪であり反社会的であるという誤った認識が広く一般に浸透している以上、大麻のみ解禁になったとしても恐らくヤクザの資金源になるのは明白で、国家として大麻を解禁して得られるメリットは何一つ無い。

結局何が言いたいのかと言うと、ドラッグの「違法性」「危険性」「反社会性」はそれぞれ別の次元で考えなければいけないということだ。

マジックマッシュルームが幻覚剤であるのは事実であり、他の幻覚剤が法で禁止されている以上、今回広く一般人に知られることになったのをきっかけに今後違法になる可能性は高い。
現時点でも「観賞用に使用する限り合法」であるに過ぎない。
では耐性や依存性といった禁断症状的な危険性はあるかというと、マジックマッシュルームに関しては全く無い。
酒や大麻と同様酔いが醒めればそれで終わりだ。
では反社会性があるかと言うと、幻覚にびっくりして警察沙汰になるくらいだからそれなりの反社会性はあると言えよう。
ただ、最初から「幻覚を見るために幻覚剤を飲む」場合は「今見えている情景が幻覚であることがわかっている」わけだから、個人的に楽しむという目的であれば一般に考えられているほどの反社会性は無い。
ましてや「自分が襲われるという幻覚を見て見ず知らずの人を殺す」などという事件になる確率など、「酔っぱらって口論になりカッとなって相手を刺す」確率よりも低いだろう。

日本ではドラッグ全てに幻覚が伴うといった幼稚な常識が浸透しており、大麻だろうがヘロインだろうがコカインだろうが、「やったら最後、幻覚を見て通りすがりの人を殺す」と本気で考えているバカが非常に多いが、その結果「ドラッグは全て危険だから禁止しましょう」という単純な思考回路でドラッグを捉えても本質は何も見えてこない。

ドラッグというものは、その効果が多かれ少なかれ非日常的な感覚を与える。
その非日常的な感覚は、現代の勤勉な社会生活を営むには不必要な感覚かもしれないが、宇宙に産み落とされた一つの生命体の神秘として人間を捉えたときには避けて通れない感覚であり、近代社会以前はそれぞれの民族が本能的に生活の中にドラッグを取り入れ、長年共有してきた感覚なのである。
一部の例外はあれど、別に全てが近代科学の発展で生み出された「作られた感覚」では無いのだ。
その感覚を得たいと思うこと自体に反社会性は無く、その感覚を与えてくれるドラッグに耐性や依存性といった危険性が無いのであれば、倫理的にはそのドラッグを楽しむことに何の問題も無い。
ただ、今いる国家がそのドラッグを違法と定めているのであれば、当然所持あるいは吸飲する行為には違法性が伴うというだけのことである。

(2001.04.27)