伊那は遠かった

ゴールデンウィークである。

これまで首都圏で生活したことがなかった僕は、ゴールデンウィークに一斉に東京から飛び出すバカな家族連れとそれに伴う大渋滞、そしてUターン時に同様に起こるさらなる大渋滞の様をニュースで見るたび、「東京の連中はアホちゃうか?(笑)」とずっと思っていた。
実際その気持ちは、今年初めてそのお仲間に入ってみて行楽地でくたびれた"お父さん"連中を見、ますます強くなったのだが、今年はスケジュール的にどうしようもなかった。
5月2日出発の5月4日帰着という渋滞を増長する鏡のようなスケジュール(笑)。
僕は「伊那」に向かったのである。

伊那とは長野県伊那市のことだ。
伊那には大学の時のバンド仲間がいる。
堤君というのだが、彼はおもろい奴で、なぜか今信州大学の農学部に在学して木の研究をしている。
大学を出て一度会社に勤めるのだが、「おもろない」と言って辞めてしまった。
堤君はギタリストであり、彼とはここでは書きたくないバンドも含めて(笑)何個か一緒にバンドをやったが、メインは「ホルマリントリップ」という今で言うならビジュアル系バンド(爆)で、ホルマリントリップは去年の山形ライブで数年ぶりに一夜限りの再結成を行い、ライブハウスを大いにわかせた。
その彼の所にバンド仲間が数人集まってくるという訳だ。

東京から伊那へのルートは中央自動車道がもっとも近いのだが、予想通り5月2日は恐ろしい渋滞だった。
自宅を出たのが午前5時。この時点で既に出遅れてるという話もあるが、ツレのノリコが風邪を引いてしまい、明け方まで熱が下がるのを待っていたと言うこともあり、致し方なかったのである。
首都高はそこそこ順調に抜けたが、中央道に入ってからは最悪だった。
渋滞の話を延々書いてもおもしろくもなんともないので省くが、やっと普通に車が流れ始めたのは昼の12時ころで、マニュアル車の僕がどれほど辛い時間を過ごしたかわかっていただけると思う。

堤宅には3日に集合することになっていたので2日は松本に宿をとった。
ノリコと軽く飲みに出かけたが、なんだか疲れてて早急に引き上げた。
堤に他のメンツの集合具合を確認するために電話を入れる。

「治郎のヤツがな、また自分勝手な行動とりよってな、3日はフィアンセと二人で上高地のコテージかなんかに泊まる言うとんねん。俺んとこには2日に来るらしいねん。」
「なんや、それ?」
「そやろ?明日上高地にみんなで乱入せえへん?(笑)」
「それ、おもろいな(笑)。」

治郎君というのは同じく大学のバンド仲間のギタリストで、このサイトの「9RECORDS」というメニューにもある「DUMBO」というバンドを僕と一緒にやっていた。
大学時代から社会人初期のころは純愛を絵に描いたような生き方をしていたのだが、ある時期を境にプツンと何かが弾け(笑)、そこそこ遊んでいたようだが、今年の秋には結婚を控え今回は婚約者と一緒に伊那にやって来ていた。
当初から3日の夜に集合という話をメーリングリスト上で展開していたのにも関わらず、その日の夜は上高地のコテージに彼女としけこむっていうのはどう考えても許し難い(笑)。
治郎君と彼女は2日の夜はとりあえず堤宅に泊まっているらしい。

3日ホテルをチェックアウトし伊那の堤宅へ向かった。堤宅には渋谷君が既に到着していた。
渋谷君は治郎君と同じくDUMBOで一緒に大学時代を過ごした。
彼は本職はボーカリストなのだが、大学入学当初は彼の才能を誰も評価してくれず冷や飯を食わされ続け、ある時期からキーボードを人前で演奏し始めたのをきっかけに注目を集め、その後オリジナル曲を発表するようになる。
渋谷君はDUMBOではボーカル兼キーボードだったが、実はDUMBOを結成する前にホルマリントリップでも一時期一緒にやっていたことがあり、その時は単なるキーボードとしてのゲスト参加だった。
彼を含めたメンツで一度だけ京都の「拾得」に出たことがあるのだが、その時の演奏はホルマリントリップの歴史の中で自他共に認める最高の出来であった。

稲田君から携帯に電話が入った。
彼は今日名古屋から高速バスに乗ってやってくることになっていた。夕方4時過ぎには伊那に到着するらしい。
彼はベーシストで、ホルマリントリップで一緒に夢を見ていた。
ホルマリントリップはDUMBOの活動が本格化するのとほぼ同時に解散してしまうのだが、僕個人としては今でも非常にもったいないことをしたと思っている。
実は稲田君はホルマリントリップ解散後自らのプロデュースでバンド活動を続け、それからの活躍の方が世間一般では認められていると思う。
現在も精力的にデモテープ制作を続けており、9RECORDSにある「sonicberry favour」とは彼のユニットである。
彼も一度サラリーマンになったもののあっけなく退職し、現在は岐阜市にある「ENSO」という店を共同経営している。前に「店の広告をWebで作ってやるよ」という話をしていたのだが、なにせ岐阜に行く機会というのも限られてしまうので残念ながら実現しないままになっている。

稲田君が到着するまでの間開田村というところにそばを食いに行き、夜の計画を練る。
治郎君と彼女がしけこむのを指をくわえて見てるわけには行かないので、上高地のキャンプ場に電話してみる。
なんとコテージがまるまる一個空いているというではないか(笑)。
誰もキャンプ場に行く用意などしていなかったし、ノリコなどヒールでのこのこやって来ていたのだが、とりあえず上高地のコテージに行くことだけはその場で即決した(笑)。
当然だがその時点では稲田君はまだ堤宅でのんびり飲むもんだと思っていた。

上高地というところは終日マイカー規制になっていて、途中からはバスかタクシーで行くしかないのだが、入り口にゲートがあり、7時には閉まってしまうらしい。
そばを食った後治郎君とフィアンセは、事前に予約していた手前僕らが稲田君と合流している間に先に上高地に向かっており、一足先に駐車場の様子やバス・タクシーの便を把握し携帯に連絡をくれていた。
僕らは彼らカップルの甘い夜を邪魔するためだけに上高地に行くのだが(笑)、治郎君は自ら進んでそういう状況を作りつつあった。

後発隊が上高地の入り口の沢渡に到着したのは7時前。治郎君が駐車場の人に連絡してくれていたのでスムーズに話は運び、すぐにタクシーがやって来た。
あたりは既に真っ暗になっており、山道を飛ばすタクシーの運転はなかなかアグレッシブだった。
タクシーもゲートが閉まるまでに帰らなければいけないので大変である。
しかし上高地のタクシーの運ちゃんはよく喋る(笑)。
帰りのタクシーもそうだったが、運転中聞いてもいないのにベラベラずっと喋ってるのである。
まあ愛想が無いのも考えもんだが、あれじゃあ相槌を打ってるだけで疲れてしまう。
そうこうしているうちに、真っ暗なバスターミナルと思わしき場所に降ろされた。

しつこいようだが僕らが上高地に行こうなどと本気で考え始めたのは今日の昼のことである。
実は上高地の地理、泊まる場所、コテージのあるキャンプ場の正式名称など、誰一人知らないのだった(笑)。
唯一知っているはずの治郎君は先にコテージに入っており、真っ暗な山の中で途方に暮れる一行であった。

事前にキャンプ場の管理棟の電話番号だけは治郎君から聞いていたので、そこに電話してなんとかたどり着くことができた。
「上高地小梨平キャンプ場」はかなり大きなキャンプ場で、多数のテントが既に設営されており、バンガローの数も多くかつ設備も整っていた。
とにかく僕らは寝袋どころか防寒着も毛布も何も持ってきていないのである(笑)。
大事そうに抱えているのは「酒」「デモテープ」「ラジカセ」「象さんギター」(爆)。
上高地という場所柄、これが昼間だったらまじめなアウトドアマンやキャンパーや登山家たちの冷たい視線を一身に浴びただろうと思われる団体なのだが、運良くあたりは既に真っ暗。正々堂々とコテージまでたどり着くことができた。

着いてみてわかったことだが、治郎君とフィアンセは自らの予約したコテージはキャンセルし、僕らと同じコテージに雑魚寝する覚悟を決めていた。
なんとも治郎君は友達の鏡だが、彼女にしてみたら一気に天国から地獄だったと思う(笑)。
まあ、本気で二人っきりになりたかったらのこのこ伊那なんかにやって来なければいいわけで、僕らの性格や行動力を考えれば、ある意味治郎君の自業自得である(爆)。

いきなり酒盛りが始まった(笑)。
他にやることが無いんだからしょうがない。
食い物は焼き肉の材料と焼きそばの材料とその調味料だけ、先発隊の治郎君カップルが調達してきていたが、僕らには本職の飲食店経営者・稲田君がいるのである。女の子が二人もいたにも関わらず、キッチンの主導権は完全に彼が握った。
稲田君の料理は学生時代から定評があったが、今回も期待を遙かに上回るすばらしいものだった。
焼き肉と焼きそばの用意しかしてこなかったはずなのに、手を変え品を買え料理が出てくる。
しかもこれは次の朝わかったことだが、ちゃんと朝飯に焼きそばを作る用意までしていた。

BGMには渋谷君の個人活動「りゅうさんバンド」と稲田君の「sonicberry favour」それぞれの新作デモテープ。
曲については9RECORDSを参照して欲しいが、どちらも意味は違うがむちゃくちゃ「かっこいい」。
治郎君とは現在住んでるところが比較的近いので時々スタジオに入っているのだが、旅行から帰ったらすぐスタジオに入りたくてたまらなくなった。
この歳になっても相変わらず音楽を続けている仲間が身近にいるというのは非常に心強いものがある。

酒もまわってくると、象さんギターをかき鳴らし、コップとか空き瓶をパーカッションにして箸で叩きまくり、みんなで大声で歌いまくる、というキャンプ場の人々には非常に迷惑な団体となった(笑)。
しかも朝気がついたのだが窓がおもいっきり開け放たれており(笑)、全て外に筒抜けだった可能性が大きい。
一旦何人かがつぶれて死んだので僕はその時寝たのだが、その後なぜかみな復活し、僕の鼾をバックにさらに大騒ぎしていたらしい(笑)。
しかもそれがむちゃくちゃ盛り上がって2時頃まで延々続けてたらしく、それに参加できなかったのが非常に残念である(笑)。

次の日周りのコテージの人の顔をまともに見れないままそそくさと山を下り(笑)、それぞれの家へ帰って行った。
5月4日はご存じUターンラッシュのピーク。
夢のような一夜の余韻を噛みしめながら、渋滞に飲み込まれて次第に現実に戻って行くのであった。

(1999.05.08)